2018年3月11日日曜日

第1コリント12

コリント人への手紙 第一
12章
1,さて、兄弟たち。御霊の賜物については、私はあなたがたに知らずにいてほしくありません。
2,ご存じのとおり、あなたがたが異教徒であったときには、誘われるまま、ものを言えない偶像のところに引かれて行きました。
3,ですから、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも「イエスは、のろわれよ」と言うことはなく、また、聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。
4,さて、賜物はいろいろありますが、与える方は同じ御霊です。
5,奉仕はいろいろありますが、仕える相手は同じ主です。
6,働きはいろいろありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。
7,皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられているのです。
8,ある人には御霊を通して知恵のことばが、ある人には同じ御霊によって知識のことばが与えられています。
9,ある人には同じ御霊によって信仰、ある人には同一の御霊によって癒やしの賜物、
10,ある人には奇跡を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
11,同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えてくださるのです。
12,ちょうど、からだが一つでも、多くの部分があり、からだの部分が多くても、一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
13,私たちはみな、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つのからだとなりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。
14,実際、からだはただ一つの部分からではなく、多くの部分から成っています。
15,たとえ足が「私は手ではないから、からだに属さない」と言ったとしても、それで、からだに属さなくなるわけではありません。
16,たとえ耳が「私は目ではないから、からだに属さない」と言ったとしても、それで、からだに属さなくなるわけではありません。
17,もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょうか。もし、からだ全体が耳であったら、どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。
18,しかし実際、神はみこころにしたがって、からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。
19,もし全体がただ一つの部分だとしたら、からだはどこにあるのでしょうか。
20,しかし実際、部分は多くあり、からだは一つなのです。
21,目が手に向かって「あなたはいらない」と言うことはできないし、頭が足に向かって「あなたがたはいらない」と言うこともできません。
22,それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。
23,また私たちは、からだの中で見栄えがほかより劣っていると思う部分を、見栄えをよくするものでおおいます。こうして、見苦しい部分はもっと良い格好になりますが、
24,格好の良い部分はその必要がありません。神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、からだを組み合わせられました。
25,それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。
26,一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
27,あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。
28,神は教会の中に、第一に使徒たち、第二に預言者たち、第三に教師たち、そして力あるわざ、そして癒やしの賜物、援助、管理、種々の異言を備えてくださいました。
29,皆が使徒でしょうか。皆が預言者でしょうか。皆が教師でしょうか。すべてが力あるわざでしょうか。
30,皆が癒やしの賜物を持っているでしょうか。皆が異言を語るでしょうか。皆がその解き明かしをするでしょうか。
31,あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。私は今、はるかにまさる道を示しましょう。

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