2018年8月4日土曜日

ヘブル10:1-23

ヘブル人への手紙
10章
1,律法には来たるべき良きものの影はあっても、その実物はありません。ですから律法は、年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって神に近づく人々を、完全にすることができません。
2,それができたのなら、礼拝する人たちは一度できよめられて、もはや罪を意識することがなくなるので、いけにえを献げることは終わったはずです。
3,ところがむしろ、これらのいけにえによって罪が年ごとに思い出されるのです。
4,雄牛と雄やぎの血は罪を除くことができないからです。
5,ですからキリストは、この世界に来てこう言われました。「あなたは、いけにえやささげ物をお求めにならないで、わたしに、からだを備えてくださいました。
6,全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物をあなたは、お喜びにはなりませんでした。
7,そのとき、わたしは申しました。『今、わたしはここに来ております。巻物の書にわたしのことが書いてあります。神よ、あなたのみこころを行うために。』」
8,以上のとおり、キリストは「あなたは、いけにえやささげ物、全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物、すなわち、律法にしたがって献げられる、いろいろな物を望まず、またそれらをお喜びになりませんでした」と言い、
9,それから、「今、わたしはあなたのみこころを行うために来ました」と言われました。第二のものを立てるために、初めのものを廃止されるのです。
10,このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。
11,さらに、祭司がみな、毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえを繰り返し献げても、それらは決して罪を除き去ることができませんが、
12,キリストは、罪のために一つのいけにえを献げた後、永遠に神の右の座に着き、
13,あとは、敵がご自分の足台とされるのを待っておられます。
14,なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。
15,聖霊もまた、私たちに証ししておられます。というのも、
16,「これらの日の後に、わたしが彼らと結ぶ契約はこうである。──主のことば──わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにこれを書き記す」と言った後で、
17,「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない」と言われるからです。
18,罪と不法が赦されるところでは、もう罪のきよめのささげ物はいりません。
19,こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。
20,イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。
21,また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、
22,心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。
23,約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。

0 件のコメント:

コメントを投稿

復活

ルカ 24:1~8 1 週の初めの日の明け方早く、彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た。 2 見ると、石が墓からわきに転がされていた。 3 そこで中に入ると、主イエスのからだは見当たらなかった。 4 そのため途方に暮れていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人《ふた...