2018年10月7日日曜日

マタイ23:1-22

マタイの福音書
23章
1,そのとき、イエスは群衆と弟子たちに語られた。
2,「律法学者たちやパリサイ人たちはモーセの座に着いています。
3,ですから、彼らがあなたがたに言うことはすべて実行し、守りなさい。しかし、彼らの行いをまねてはいけません。彼らは言うだけで実行しないからです。
4,また彼らは、重くて負いきれない荷を束ねて人々の肩に載せるが、それを動かすのに自分は指一本貸そうともしません。
5,彼らがしている行いはすべて人に見せるためです。彼らは聖句を入れる小箱を大きくしたり、衣の房を長くしたりするのです。
6,宴会では上座を、会堂では上席を好み、
7,広場であいさつされること、人々から先生と呼ばれることが好きです。
8,しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただ一人で、あなたがたはみな兄弟だからです。
9,あなたがたは地上で、だれかを自分たちの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただ一人、天におられる父だけです。
10,また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただ一人、キリストだけです。
11,あなたがたのうちで一番偉い者は皆に仕える者になりなさい。
12,だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。
13,わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々の前で天の御国を閉ざしている。おまえたち自身も入らず、入ろうとしている人々も入らせない。
14,※異本に十四節として以下を加えるものもある。〔わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちはやもめの家を食いつぶし、見栄のために長い祈りをしている。だから、おまえたちは人一倍ひどい罰を受けるのだ。〕
15,わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは一人の改宗者を得るのに海と陸を巡り歩く。そして改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするのだ。
16,わざわいだ、目の見えない案内人たち。おまえたちは言っている。『だれでも神殿にかけて誓うのであれば、何の義務もない。しかし、神殿の黄金にかけて誓うのであれば、果たす義務がある。』
17,愚かで目の見えない者たち。黄金と、その黄金を聖なるものにする神殿と、どちらが重要なのか。
18,また、おまえたちは言っている。『だれでも祭壇にかけて誓うのであれば、何の義務もない。しかし、祭壇の上のささげ物にかけて誓うのであれば、果たす義務がある。』
19,目の見えない者たち。ささげ物と、そのささげ物を聖なるものにする祭壇と、どちらが重要なのか。
20,祭壇にかけて誓う者は、祭壇とその上にあるすべてのものにかけて誓っているのだ。
21,また、神殿にかけて誓う者は、神殿とそこに住まわれる方にかけて誓っているのだ。
22,天にかけて誓う者は、神の御座とそこに座しておられる方にかけて誓っているのだ。

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